富山浩貴

随想

 

                  平成29年度卒 経済学部 富山浩貴

4年間の部活動を振り返ると、2つの大きなターニングポイントがあったように思える。1つ目は1年の秋の入れ替え戦、2つ目は3年の春リーグである。随想では、この2つの出来事を中心に部活動を振り返っていきたいと思う。

入学当初、高校の同期で大学の先輩である瀬口の紹介で、部活を見学したとき、当時4年生の先輩方が楽しそうに部活をやっており、ただ、楽しそうという軽い気持ちで入部した。それからは、テニスを通じた先輩方との交流をただ楽しみながら過ごしていた。今思えば、体育会に入ったという自覚が足りなかったと反省している。

そんなこんなで迎えた1年の秋の秋リーグ。当時の4年生の活躍もあり、6部優勝し、5部昇格のチャンスを手に入れた。その入れ替え戦で、けがをした先輩の代わりとして出場することになった。私は、リーグ戦で13敗、1試合はレギュラーから外されている。完全に実力不足であった。入れ替え戦は私の敗北のせいで、チームが負け、昇格することはできなかった。そのとき初めて感じた「自分が負けたらチームが負ける」というプレッシャーと、敗北の重みは、その先の3年間、ずっと私にのしかかるものになった。それまで高校の延長でただ漠然と「うまくなりたい」と思って楽しく練習してきたが、その出来事がきっかけで、「うまくならなければならない」という義務感を感じるようになった。

 それからは、自分のテニスと向き合う毎日だった。途中、嫌になって別のことに逃げた時もあったが、入れ替え戦での敗北を思い出すと、逃げてばかりはいられなかった。勝てるようになってからはいくらか楽になったが、それでもつらい毎日だった。

そうした毎日を過ごして1年半が経ち、3年の春リーグを迎えた。結果は降格。原因はチーム力にあった。私は2年の春リーグ、秋リーグともに4勝1敗で、チームの勝ち頭となっていたが、実際は、ペアの力で勝っているようなもので、実力不足は否めなかった。幹部として臨んだ3年の春リーグでは、自分の力で勝たなければならないというプレッシャーから、周りが見えなくなっていた。つまり、チームとしての勝利ではなく、自分の勝利しか考えていなかった。幹部としては失格だった。練習メニューは幹部が決め、意図を明確に伝えることも怠っていたため、部員が納得できるような練習ではなかった。結果として、後輩を勝たせてあげることもできず、私は自分の力不足を思い知った。この出来事がきっかけで、「自分が勝つための練習」から「チームを勝たせるための練習」をするようになった。

それから幹部で協力してチームを見直して迎えた秋リーグは一生忘れないだろう。それまで我が部では「勝てる3ペアを作る」という伝統があったが、これはチームの底上げがうまくいかずに出た、苦肉の策であった。しかしこの秋リーグは、レギュラー全員が少なくとも1勝をする、という今までにないリーグだった。結果は7部残留だったが、その結果以上に得られたものは大きかった。振り返ると、私自身も大きく成長できた期間であった。これは私の力だけでは得られなかったものである。特に、春リーグの後からコーチを務めていただいた義経さんの力が大きかった。お忙しい中、本当にありがとうございました。

 この2つのターニングポイントを見ると、失敗から学んだことの大きさを感じる。失敗する前にわかっていれば、という後悔をすることもある。そうすれば負けていなかったのだから。しかし、人間として未熟であった私にとってそれは難しいことであったと思う。失敗から学び、成長することで、周りに貢献するのが私にできる最大限である。先輩方のように、後輩に多くのことを残すことはできなかったことを申し訳なく思う。

 

最後に、私は部活動を通して、貴重な経験をさせてもらい、大きく成長できたと感じています。そのような環境を与えてくださった先輩方や後輩には本当に感謝しています。他の部活やサークルではこのような経験はできなかったでしょう。体育会ソフトテニス部がますます発展していくことを心から願い、支援していきたいと思うので、皆さま今後ともよろしくお願いいたします。