随想

4 小野幹太

 

 自分が随想を書く番になってしまった。振り返ってみるとあっという間の4年間であった。歴代の先輩方の随想には示唆に富み強烈な熱意に引き込まれるような名文が多くあるが、残念ながら私にはそのような文才はないようなので気の向くままに字数を埋めていこうと思う。

 思えば自分のことながらなかなかに迷惑をかけた4年間だったと思う。先輩に部の紹介をする間も与えず入部を決めたはいいものの、2年間ろくに動いてなかったことがたたってか1年の春は完全に初心者と化していた。当時は勝ち負けに拘らず、技術的にうまくなることだけを目指していた。転機は上智大学との練習試合で初めて団体戦の4番手として出していただいたときに何もできずに負けたことだ。あまり過去の試合のことは覚えていない質ではあるが、あの時の悔しさは今でもはっきり覚えている。皆にみられ応援されている中で、相手が上手いわけでもなく、試合前は勝って当然だろうくらいに思っていたのに、ただただひたすらに自分が下手すぎて負けたという事実が悔しかった。前衛不足に悩まされていたことに加え、当時の幹部が未来志向だったこともあり、1年の秋からはリーグにも出るようになった。そのころから勝ちを意識するようになるもどうにも上手くいかず、がむしゃらにやっているうちに肩と手首を痛め、足を壊し、1か月ほど離脱した。人数が少ない中で当時の幹部には大変な迷惑をかけてしまった。

 2年の夏、自己管理もままならず、リーグでも結果も出せていない自分が主将に選ばれた。私よりテニスが上手い同期も管理能力が高い同期もいる中でまさか自分が選ばれるとは完全に想定外だった。思いつく長所と言えば寝坊をしたことがないくらいだ。後に先輩方に聞いてみると自分のことばかりに夢中になって練習する姿が周りに流されず芯のある練習姿勢に見え、自己管理を欠いた自主練の参加率の高さが部への高い貢献意識に見えたらしい。なんとも都合よく解釈していただいたものである。そうはいっても主将となることが決まった以上、春までに部をまとめられるようにならなければならない。初めて部全体にしっかりと目を向け、自分がどうあるべきかを考えた。間違いなく真剣に取り組んでいた。ただ今まで自分勝手に動いてきた私は周りに頼ろうとせず独りよがりになってしまった。結局私が不甲斐なかったために部は思い描く形からは大きく外れ、春リーグでは部は惨敗し、降格した。リーグはお祭りなどと言うが、そのリーグの雰囲気は過去経験した4回のどのリーグより暗く、どちらかというと祖父の葬式の雰囲気に近いものであった。そのうえ、一番しっかりしていなければならない主将である私が一番途方に暮れていたのだからどうしようもない。

春リーグを終え、個人の力の限界を認め、やっと本当の意味で同期と力を合わせられるようになった。またこの時期には本当に多くのOBの皆様から支えていただいた。千字近くの長文を何度も送り付けたのはさすがにやりすぎであった気もするが、全く嫌な顔をせずむしろ積極的に、忙しい中時間を作って相談に乗っていただいた方々の有難さは筆舌に尽くし難い。一橋大学ソフトテニス部が現役だけのものではないことを一番実感した時期であった。また根気強い同期・先輩・後輩にも支えられ、部の雰囲気も好転した。秋リーグでは昇格こそできなかったものの、雰囲気は良くなり、主将としては口が裂けても上出来とは言えなかったが、幹部としては最低限の役割を果たせたのではないかと思う。

文才のない人間が気の向くままに書いただけあって拙い文章が続いてしまい申し訳ないが、あと一つだけ書かせて欲しい。終わりよければすべてよしとは言うが一つだけ全く満足できていないことがある。リーグでほとんど勝てなかったことだ。試合とは残酷なもので結果は勝ちと負けしかない。そのうえ結果は大抵正確に実力差を表している。実力とは過去の練習の積み重ねにほかならず、どんな言い訳をしたところでその責任は自分にある。より長くより集中して練習してきた人がより強い。本気で取り組んできたならば自明のことではあるが、だからこそほとんど勝てなかったという事実がなによりきつい。自分の努力が足りなかったという事実を突きつけられたまま4年間が終わってしまうのが悔しい。後輩たちには是非とも勝ちという結果を手に入れてほしい。

 

 

 最後にはなりますが、4年間を通じ多くのOBOGの皆様にお世話になりました。特に主将時代の春リーグ後、最悪の結果・最悪のムードの部を立て直す時期に、ともに部の在り方について悩み、コートに来ていただき、コート内外で多くの遠慮のないご意見をぶつけていただいた方々には感謝してもしきれない思いです。卒業後は私もOBという立場になるわけですが私も諸先輩方に倣い、様々な形で現役への支援をしていきますので今後ともよろしくお願い致します。