ごあいさつ

一橋大学大学院社会学研究科 教授  尾崎 正峰

 2021年も新型コロナウイルスの脅威は止まず、誰もが苦難の時を過ごすことになりました。現役学生も長く十分な活動ができない中、OBOGのみなさまには有形無形のサポートをいただいていますこと、厚く御礼申し上げます。従来までと同じ日常は望むべくもないことなのかもしれませんが、少しでも早く平穏な日々が戻ってくることを願うばかりであります。

 

 別の視点で2021年を振り返るならば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という誰もが口にする文言を思い浮かべます。我が身を振り返って、忸怩たる思いにとらわれるフレーズですが、「人間は忘れることによって生き続けられるものだ」と強弁することもできましょうか。とはいえ、それでは済まないことも多かろうと思われます。小生の研究領域からするならば、「東京オリンピック2020」とその後が、それに当てはまるものと感じています。

新型コロナウイルス感染の世界的拡大という深刻な状況が続く中、東京でオリンピックを開催することの是非、さらには、オリンピックをめぐる従前からの諸問題についてまで、百家争鳴の状況にあったことはどなたの記憶にも残っていることでしょう。小生も、新聞メディア等、さまざまな方面から意見を求められました(そのうちの一つ、朝日新聞のインタビュー記事に対し、当部のOBであり学部ゼミの大先輩から丁重なお手紙をいただいて、たいへん恐縮しました)。結局、大会は開催され、以後、喧噪を極めていた諸問題への言及は影を潜め、年が改まり再びの感染拡大が起こる中、北京冬季オリンピック大会にメディアの関心は移っています。

スポーツを研究対象とする小生は、これらの事象の顛末、その有り様は、オリンピックにとって、ひいては社会にとって良きことではないとする立場を取っています。問題を抱えながらもオリンピックを許容してしまうこと、その原初のひとつに1964年大会を「成功」とのみ捉えてきたことがあるのではないかと以前から考え、仲間との共同研究を続けてきました。「成功神話」のもとに忘れられていた事実を掘り起こす中で、現在では「歴史」上の出来事となったともいえる1964年大会、そこには、忘れることなくなおも問い続けるべきものが数多く伏在していることを痛感しました(『一九六四年東京オリンピックは何を生んだのか』2018年、および『東京オリンピック1964の遺産-成功神話と記憶のはざま』2021年(ともに青弓社刊)をご笑覧いただければ幸甚です)。

 

私事で恐縮ですが、1979年に社会学部に入学以来、40年以上、一橋大学にのみ居続けましたが、本年3月をもって定年退職となります。顧みれば、顧問として何も成果を残すことなく退いていくこと、たいへん申し訳なく思っております。

最後になりますが、今後の一橋大学ソフトテニス部、そして、OBOGのみなさまのご発展とご健康を祈念いたします。