「雑感 山便り」

昭和53年卒 吉川 節

 

 何にでも興味があり、あれやこれや趣味だと言って手を付けるが、長く続いた試しがない。そのような中で生活の一部として溶け込み、なくてはならない存在が登山である。

 

1.山との関わり

 昭和49年大学の合格発表時にワンダーフォーゲル部へ入部を申込んだ。中学から剣道部に在籍したが、高校の体育で腰椎を骨折し退部、治癒後同級生と始めた登山とスキーに魅了されたのが山との縁である。ところが運命の出会い(!?)があり、ワンゲル部はキャンセル、軟式庭球部に所属することになる。

 4月の入学式が国鉄ストの影響で延期となり、寮の同期達でバドミントンをすることになった。その時広島弁の早口で元気のよい青年が、「君はテニスの才能がある、俺と一緒に軟式庭球部に入ろう」と声を掛けてきたのである。この青年は同期でキャプテンを務めることになる平田君で、もちろんワンゲル入部を決めていた私は断わったのだが、一緒についてきてくれるだけでよいという条件で東校舎のテニスコートに行くことになった。見学のつもりの私だったが、キャプテンの鈴木さんから「君はテニスが出来そうだ、着替えてやってみなさい」と言われ、結果入部することになった。その後は、当然テニス中心の生活となるが、山やスキーの好きな同期の瀬戸川君や渡辺君と夏は登山、冬はスキーを楽しむことを忘れなかった。

 卒業後横浜銀行に入行、山とテニスはたまにやっていたが、45年で業務多忙と結婚・子育てで活動は停止。変形性膝関節症で膝痛が出始め山もテニスも諦めていたが、一橋の先輩の誘いで20001月に登山を再開した。最初の頃は日帰りのコースを年に数回行く程度だったが、徐々に活動は活発化し今ではメンバーは20名を超え、月2回の定例山行を基本とする本格的な登山グループになっている。(新コロナ禍で昨年、今年の活動は限られているが)

また、2009年に京三製作所へ移籍したが、そこでも山の楽しさを伝えようと同好会を主宰し8年ほどが経つ。この会のメンバーはほとんどが自分の子供とほぼ同世代であるが、当初初心者であった彼らも今では立派な山ボーイ、山ガールである。

 

2.趣味としての登山

 登山は苦しいだけで、何が楽しいのか?と聞かれることが多い。確かに辛くてくじけそうになることもある。マラソンランナーの高橋尚子さんが「なんて楽しいのだろう」と思い走っているという話を聞いて、当初首を傾げた私だったが、辛さは気持ちの持ち方で変わるということが分かるようになった。気持ちを前向きにさせる魅力が山にはあると思う。

 私は「山は一粒で三度美味しい!そこに楽しさがある」と思っている。まず、一つ目は計画時のワクワク感、期待の膨らむ楽しさ、いわば大人の遠足である。そして、二つ目が実際に行った時の達成感や充実感である。困難なルートを超えた喜び、沢の渡渉や岩稜歩きで溢れ出るアドレナイン、新緑や紅葉の四季を感じる風景、山頂のご褒美と称する展望の素晴らしさ、厳しい環境で可憐に咲く高山植物、ライチョウやカモシカなどの貴重な生き物との遭遇など、まさに「百の頂に百の喜びあり(深田久弥氏碑文)」である。低山には低山の良さがある。三つ目が下山後の反省会、何も反省しないことが多いが温泉に浸かり、そばを肴に仲間と杯を交える楽しさも大きな楽しみである。そして帰宅後作成する登山日記や写真整理も思い出を倍加させる。

 

3.登った山々 ~ 百の頂に百の喜びあり

 どこの山に登るかの選択肢は数多ある。丹沢、奥多摩や奥武蔵といった山域を選んだ登山、日本百名山や山梨百名山などのピークハント、スノーシュウハイキングやウォーターウォーキング(沢登初歩)、一般登山道のないルートファインディングの必要なバリエーションルート登山など登り方に拘る登山にも取り組んできた。最近は、富士山展望、季節の花めぐりや紅葉狩りなどテーマを決めた登山も多い。また、同じ山を季節やルートを変えて登ることもある。

深田久弥氏の著書「日本百名山」で紹介された山々は登山者にとっては憧れであり、この百名山踏破を目指す登山者は多い。私は2018年に漸く登りきることができた。勿論最初から目指したわけではなく、意識し始めたのは憧れの剱岳に登り、登頂数が約30座を数えるころである。記録を見ると2008年から2012年の5年間で52座を登っている。当時、「吉川の行動は単純、ゴールデンウィーク、お盆休み、そして三連休は山登り」と言われるほどのめり込んでいた。

 球朋会同期と登った百名山を紹介しよう。大学時代に瀬戸川君と登った八ヶ岳縦走。夜行で着いた小淵沢から信玄棒道を歩き編笠岳から権現岳に着いた時にはヘロヘロだったが、そこで見たブロッケン現象には感動した。2008年杉村君、瀬戸川君、中前君と男体山に登った。6月だったが残雪が多く楽ではなかった。宇都宮で食べた餃子はうまかった。2009年、杉村君と瀬戸川君と南アルプスの北岳、間ノ岳に登った。ルートもきつかったが天候悪化でバス欠航の恐れありと下山を急いだことは忘れられない。2010年瀬戸川君と北アルプスの爺が岳、鹿島槍ヶ岳を縦走した。この時も天候が悪く、山小屋で滑落事故死の報を聞いて緊張した。忘れられないのが、杉村君と2017年に登った皇海山である。日帰りで行ける短縮登山道が大雨の影響で通行禁止が続き、足尾銅山側の正規ルートを行くことにしたのだがこれがきつかった。それまでの1日の行動時間の最長は北海道のトムラウシの13時間であったが、皇海山は2回の道迷いもあり14時間であった。朝3時に起床し4時出発、山小屋に戻り着いたのが18時だった。そして、2018年の私の百名山達成となる八幡平では杉村君と瀬戸川君に同行頂いた。

 

コロナ禍で登山もままならぬが、最近は近所の里山や緑地帯を歩いている。自然の中を気ままに歩く。これもまた楽しいものである。また、同期と連れ立って登山のできる日を楽しみにしている。皆さんも是非お試し下さい。                                     

写真は左から、①日本百名山達成となった八幡平の写真(左から瀬戸川、吉川、杉村)②皇海山登山後大きなザックを背負って山小屋(庚申山荘)前で(左から杉村、吉川)、③登山記録として編集したDVD写真集と製本した登山日記の山です。