随想         経済学部 近藤大晟

「練習では結構いい球がいっているのに」

「遊びで試合をしているときはいきいきと動けているのに」

 中学からソフトテニスを始めたが、中高大すべてのカテゴリーで私のプレーは周りの仲間からしばしばこう評価されてきた。また中学3年生時の引退試合では、まるで初めてラケットを握る体験入部生のようなプレーをしてしまい、3年間の部活動の成果など微塵も発揮できないまま無様に惨敗してしまった。今でも中学時代の部員と再会すると「あの試合の近藤は酷かったよな」という話が持ち上がるほどに、自分にも他人にも記憶に残るほどの悲惨な試合をしてしまったのである。このように、「試合で勝利を渇望すればするほど、練習時と試合時とのパフォーマンスの乖離が大きくなること」が私のソフトテニスにおける永遠の課題であった。大学での部活動でも、この課題は常に私の前に立ちはだかったのである。

 

 

 恥ずかしいことに、体育会は各個人が常にチームの勝利を本気で求めて試行錯誤している団体だということを知らないままに、ただソフトテニスが好きという気持ちだけで入部した。先輩方の一生懸命な姿勢に刺激を受け、1年生の秋リーグあたりから私も次のリーグにはレギュラーとして出場してチームの勝利に貢献したいと思うようになった。そして冬オフでは頻繁にコートに通い練習して、「練習時の」技術力は少しではあるが向上していった。しかしながら、試合時でのパフォーマンスは一向に改善されず、練習でできていたプレーが一つとして試合で発揮できない原因を探しては混乱し、ついに2年生の春リーグ前にフォアハンドの感覚が狂ってしまってラケットを振りきることができなくなってしまった。すべてが振り出しに戻ったような気がして、当時の私はやる気を完全に失ってしまっていた。その後、周りの方々の協力もあって、少しずつフォアハンドは「練習では」快方に向かったが、試合でのパフォーマンスが向上することはなかった。幹部として部の責任を負う立場になっても、他の同期がレギュラーとして試合で活躍してくれている中、私はレギュラー争いに参加してチームに緊張感を与えることすらできなかったことは本当に申し訳なく思っている。また、自分の永遠の課題を結局克服できないままリーグ戦で1勝もあげられずに引退を迎えてしまったことは私自身最大の後悔である。

 

 

 なぜこれほどまでに私は勝利を意識するほど練習と試合でのパフォーマンスの差が大きくなるのか。一つの原因としては、練習のときから試合を想定する意識が甘かったことである。試合の緊張感の中でこのコースへの配球を選択できるのかと練習から自問する習慣が私にはまだまだ足りていなかったと振り返ってみて思う。しかし、原因はそれだけでないように感じる。私が自分の最大の課題を克服できなかった一番の原因は、勝利を意識した試合になるとミスをすることを極度に恐れ、常にミスしたらどうしようとばかり考えて練習でできたことを試合でも実践しようとしなかったことであると思う。むろん、ミスすることを考えていたところでミスが減るわけではなく、むしろミスを恐れてプレーをするほどミスが増えていったのだから滑稽である。こんな私でもファーストサーブだけは練習の成果を比較的試合でも発揮できたのだが、自分なりにその要因を考えてみたところ、ファーストサーブはミスしても(相手にポイントを与える可能性は高くはなるが)直接失点にはつながらないため、ミスを気にせずに思い切って打つことができていたからだと思う。ストロークでもミスをすることを考えずにもっと練習でできたことを試合で実践していく機会を増やしていれば、勝利がかかった緊張感のある試合でももう少し練習でできていたことに近いマシなプレーができていたのかもしれない。

 

 

 多くの人は、練習したことを試合で実践することなんて当たり前で、なぜそんなことすらできなかったのかと半ば呆れていることだろう。私自身、この随想を書くにあたり4年間のことを振り返ってみると、改めて自分はなんと愚かで情けないことをしていたのかと後悔が尽きない。失敗をすることを恐れて挑戦することから逃げてきた結果がこの愚かで無様な有様である。もし万が一、私と同じような境遇にいる後輩がいたら、私を反面教師にして勝利が求められる試合であってもミスを恐れずに練習でできたことを挑戦していく姿勢を貫いてほしい。どれだけミスが続いても恐れずに挑戦し続けることによってはじめて、この課題を克服する解決法が見えてくるように思う。

 

 

 

 最後になりましたが、日ごろから我々に多大なるご支援をしてくださったOBOGの皆様には心から感謝申し上げます。今後は私もOBとして後輩の一助となれるよう努めてまいりたいと思います。