卒後30周年の記!~ソフトテニスを中心に~

昭和63年卒 直居敦

 

 201811月の球朋総会に出席したところ、「キミ、卒業後30年だから何か一言スピーチやってくれ」と鈴木新会長からご指名をいただいた。30年か!呆然である。世間は“平成の30年を振り返る”とかなんとか騒がしいが、自分が卒後30年であることとは別モノだと考えていた。昭和の最後、63年卒業なんだから当たり前のことなんだけど……。

 というわけで卒業後の30年、即ち平成の30年は自分にとっては社会人としての30年と重なるわけだが、ここは球朋会、ソフトテニス部のOB・OG会だ。失われた20年だか、総じて言えばさっぱりさえなかった株価みたいな話も面白くなかろう。個人的なテニスとの関わり、特にこだわりのある軟式テニスとの関わりをお話しした。その採録がこの文章だ。

 卒業後しばらくは仕事の合間を縫っては硬式テニスをやっていた。後に結婚することになる女性が硬式テニス部出身だったこともある。それはそれで面白くなってきて、結構一生懸命やった。スクールに通い、それもちょっと体動かします、みたいなことでは飽き足らなくなって実践クラスといったところに入り込んで試合のやり方を学んだりした。たまには試合に出てみたりもした。しかし、いまひとつ面白くない。勝てる・勝てないということももちろんあるが、何だかテニスをしていて、試合をしていてもどかしいのだ。例えて言えば、ニュアンスがうまく伝わるかどうかわからないが、“英語で日記を書いている”感じだ。まあ、うまく表現できないじゃないですか。ネイティブじゃないんだから。

 転機は2005年だったか。2コ下の、一橋軟式テニス部OB(自分で軟式テニスをやってるグループ)最大の大物である中野君から、クラブ戦なるものに誘われたことだ。東京都クラブ戦の4部だったと思う。大学でいえば関東リーグみたいなもので5ペア団体を組んで優勝昇格を目指す。だめなら降格の憂き目にあうところも同じだ。一橋大OBチーム、ご存知国立球朋クラブは、歴代のキャプテン、主力クラスでチーム編成しており、なかなかに強く、優勝→昇格の勢いに乗っていた。まあ、自分はといえば硬式はほぼ毎週やっているわけだし、軟式はもちろん久しぶりだが、少なくとも現役時代は中野君らと(かなり汚い試合運びではあったが)互角に戦っていたわけだ。「それほど言うなら出てやらないでもないがね、フフフ」といった調子で引き受けたわけだが、当たり前だがまるで勝てなかった。それだけならまだしも自分が一つも勝てないのに、チームは優勝して昇格してしまった。自分が活躍しない優勝は、(自分にとっては)極めて微妙だ。実はその試合会場でちょっとした知り合いに出会い、声をかけられたことが、地元のソフトテニスクラブに入り直すきっかけになった。国立まで通うのはしんどいけど、地元なら気軽に行ける。

 以来もう15年近くになるのか!自宅から近い練習環境を生かし、ほぼ毎週練習を続けている。クラブ戦は国立球朋クラブよりはだいぶ下だけれど団体戦ならではの緊張感と一体感を楽しんでいる。個人戦もローカルなおじさんの部ではたまに優勝したり賞状・商品をもらったりしている。もっとも東京選手権、関東選手権といったオフィシャル大会は別だ。齢50を過ぎても鍛え続けているちょっと(かなり)変わった価値観の持ち主は強い。それから昔強かった選手は概ね今でも強い。ただ、この歳になってもやっている選手自体が少ないこともあって、大学時代は雲の上の存在だったトップクラスの選手ともたまには試合をする機会に恵まれる。雲の上だった選手には勝てないまでも、ちょっと上くらいのクラスだと、なんかの具合で勝ったり負けたりするのも楽しい。

 三商大戦でコテンパンにやられた神戸大学。大学当時は関西2部だったが、そのあたりとまあ勝ったり負けたりする。久しぶりに会ったときは、何だかお互い太ってたり髪が白くなっていたりで分からなかったのだが、名前は鮮明に覚えている。「えー、酒井・井上がまだやってんだーー!」みたいな話で実に盛り上がる。

 ソフトテニスを通じていろいろな知り合いも増えた。何せ、硬式テニスに比べて競技人口がかなり少ないから、どの大会に出て行っても同世代ではたいがい見たような顔と試合をする。いまだに人見知りが治らないが、そのうちに他愛もない会話を交わしたりするようになったりもする。

 そんなこんなで楽しみながら、家族には非難を浴びながらソフトテニスを続けているうちに、所属する地元テニスクラブのあれこれに加えて、地元のソフトテニス連盟関係の仕事みたいなことも少しずつ増えてきた。あくまで楽しみでやっているソフトテニスだし、なんやかやサラリーマンとしての仕事もまだほどほどに忙しいので「まいったなぁー」というのが本音なのだが、たまには良いこともある。

 2018年の12月、東京都ソフトテニス連盟の忘年会みたいな祝賀会に「文京区代表で出てくれ」という話になった。その年に東京出身、東京関連で全国トップレベルで活躍した選手や団体(中学生から社会人まで)を表彰する催しだ。気が進まなかったが、少しずつ知り合いは増やさなければいけない必要性を感じていたことに加え、2018年の皇后杯優勝の林田リコ・宮下こころペアが来るというのが大きなモチベーションになった。最近のソフトテニス事情に詳しくない人には何のことやらでしょうが、このペアは2017年、当時の文大杉並3年の時に高校生としては67年ぶりに皇后杯を取り(つまり全日本でトップになり)、2018年はそれぞれが別々の大学に進学したものの皇后杯ではペアを組んで2連覇を達成したという大スターである。林田は同じ年のアジア大会でも女子団体金メダルを、最後サービスエースで決めるという離れ業を演じて見せた。まあ、硬式テニスでいえば大阪なおみです。

 ということで、写真はその時撮らせてもらった林田・宮下のVサイン写真。こう言っては誠に失礼ですが、この2人が街を歩いていても、まずちょっと色の黒い女子高生にしか見えんわな。。。

 とはいえ、大スターですから、緊張しながら話しかけ、「大学生になってもペアを組んでる気持ち」とか、「そもそも別の大学に行った経緯」とか聞いたりして、自分的には大満足である。役得だ。

 そんなことで今でもソフトテニスを楽しんでいる。学生の練習に混ぜてもらうこともたまにはある。

 

OB・OGのみなさん、ゴルフや硬式テニスやあるいは暗いところでやるボクササイズみたいなナウなエクササイズもいいんでしょうが、ソフトテニスも楽しいですよ。ぜひそのうち国立コートなりでお手合わせをお願いしたいものです。長文失礼いたしました。