自分が自分に対して考えていたことをアウトプットする場も滅多にないので、随想は自分が部活で考えていたことを淡々と要約しようと思う。論理が飛躍している箇所や表現が稚拙な箇所も多々あるが、ご容赦頂きたい。

 

 

 

文章の読み書きが苦手な私は、自分が随想を書く意味があるのか、自分の随想を読みたい人などいないだろうし代筆でも頼もうか、と思っていた。

 

しかし、いざ随想の内容を考えるため4年間を振り返っていたところ、部活は本当に学びが多かったことに改めて気づいた。随想を書く作業は、こうした学びや周囲から受けた影響を整理する時間を、社会人になる卒業生11人に与えてくれる、貴重な機会だと思い、自分で書き切ろう、と思い直した。

 

 

 

このように私は、気難しいことに、自分が行うことの「意味」を納得できていないと、やる気が起きない人間だ。自分が「こうなりたい」という自己実現欲求が過少な分、「意味」に過剰に重きを置いてしまう。

 

 

 

4年間の部活では、私は、自分がソフトテニス部に所属する「意味」・練習をする「意味」を頻繁に考えていた。「意味」には2つあり、自分にとっての「意味」と、チームにとっての「意味」(=役割)、この両者が揃って初めて、自分が部活に所属する意味があると考えていたので、常に両者を模索して揃えては、練習する「意味」として受け入れ、モチベーションに変えていた。

 

 

 

「意味」を自分なりに見つけられると100かそれ以上の力と気持ちで頑張れた。わからなければ0の気持ちと90の力で頑張っているように見せた。しかし気持ちの影響は大きく力の効率が悪くなってしまうことも多かった。そのような時は結局、加重平均でいえば10の頑張りにしかならなかった。それにより時にはチームにマイナスを与えるような、反省すべき不安定な人間であったと思う。

 

 

 

ここでは、「自分が練習をする『意味』」に絞って、考えていたことを述べたい。4年間の部活の中で、その「意味」について特に意識した3つの時期を振り返る。

 

 

 

1つ目は、1年生の秋リーグ前である。

 

中高時代もソフトテニス部に所属していたが競技に対して特に好き嫌いの感情は持たなかった。大学では、先輩方に憧れ、また人数的に必要とされていると思い、ソフトテニス部への入部を決めた。入部直後のチームにとっての「意味」は、チームの勝利に貢献すること、自分にとっての「意味」は、前衛のレギュラー争いに勝ちリーグに出ることだと思った。秋リーグに向け練習をする中で、練習量をかなり取ったつもりでも先輩方に近づけないと感じ、練習する「意味」を見失い、好きというわけでもない競技によって今後4年間ストレスがかかることに嫌気がさし、退部を申し出たこともあった。しかし将来の女子部の主力になる目標を立て、練習に「意味」を見出した。

 

 

 

2つ目は、2年生の夏オフ明け、幹部を決める時である。

 

私は1年生の秋リーグ後、当時のシングラーの方の引退と同時にシングルを任せていただいた。当時の主将が、2年生から次期主将を指名し、次いで他の役職も決めた。その際に主将から「シングルの技術を磨いている途中だと思うが、技術に打ち込み技術面でチームをリードする役割でいてほしい」と言っていただいた。担える役割を負うことが必要だと思い、練習をして技術を向上させてチームの勝利に貢献することに「意味」があるのだろうと思った。また、練習に打ち込むことの自分にとっての「意味」は、練習した分だけうまくなること、それにより勝てるようになり技術的に信頼される可能性があることであった。

 

 

 

3回目は、4年生の夏である。

 

春リーグ以降、何を練習しても技術は徐々に落ちたような気がし、再び練習する「意味」が分からなくなった。練習しても技術が下降するのなら、勝つことも周囲にアドバイスもできないので、技術でリードするという、自分が全うしようと思っていたチームへの「意味」「役割」を果たすこともできない。秋リーグに自分の一番良い状態を持っていくために練習をしても状態は上がらない。最後のリーグを前に自分の技術にとっての練習の「意味」が分からなくなっていた。結局、「向上心を見せる」ことに、チームに対しての「意味」を見出し、自分にとっての「意味」は、「投げ出さない経験を積む」ことに見出し、なんとか二つの「意味」をそろえて練習をこなした。

 

しかし、この二つの抽象的な「意味」だけで、気難しい私が長時間の練習をこなせるはずはない。この時に気が付いたのが、部活生活を通して常に自分の練習へのモチベーションの根底にあった、逐一考える「意味」より高次元に、確実に存在していた「意味」である。それは、常に自分を気にかけてくださる先輩・同期・後輩がいて、皆さんにお世話になったものを優勝・昇格でお返ししたい、そのためには勝つ必要があり、うまくなる必要がある。うまくなるには練習が不可欠である。ここに、常に自分の練習の「意味」は見出されていたため、気持ちが一時的に0に近くなっても練習し続けられたのだろう。

 

 

 

以上3つを振り返って、チーム戦である大学のソフトテニスにおいて、一人で勝手に役割や意味について考えては気持ちが変動し、自己中心的だったと反省している。

 

 

 

一方で、4年間の部活を通して、周囲に恵まれ、人として成長させてもらえたことで自分にとっての部活の「意味」は計り知れないものだったと感じると共に、「先輩のおかげで…」といった後輩からの言葉を受けた時に、少しは部活に対して「意味」をなしていたことを知ることができ、2つの意味をそろえて部活生活を終えられて、幸せな環境に身を置かせていただいたと感じる。

 

 

 

最後に、4年間の部活で私に関わってくださった全ての方々に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。