藤本理君を偲んで 2017年

藤本の日

 

今月12日に雑司が谷霊園で恒例になった藤本理君のお墓参りをして来ました。

 

亡くなったのは2003年のことでしたが、以来毎年欠かさずこの時期に、具体的には11月の第2日曜日を「藤本の日」と定め、小宮、竺原、慶田、尾木原、潮田の同期5人が集まり、藤本夫人と一人息子の剛史君の墓参に同道させて頂いています。

毎年、故人が好きだった缶ビールを剛史君が用意してくれ、墓前にみんなで献杯し藤本にも1缶飲ませて(墓石経由)あげます。

その後、新宿高層ビルに移動し、正子さん・剛史君を囲む昼食会で思い出話に花を咲かせます。真っ昼間から飲み放題にするものだから、抑えが効かない小宮なんかは「藤本も春歌が好きでよく歌っていたよな」などと猥雑な高歌放吟を始めたりして(こういう事態は想定範囲内なので個室設営)、それまで英米文化とかジャズ音楽などを取り上げていた話題がスグ下方に向かいがちになるので、潮田などはこれを窘めて方向再転換させるのにとても苦労します。言うまでもありませんが、添付写真でみんなの顔が赤いのは日焼けではありません。

 

考えてみたら、今年はもう14回目ということになります。

あらためて、社会人としても家庭人としても最高・最良の時に他界されたことを思うとき、無常観と不条理感が募り、友人のひとりとして無念でなりません。病気再発の直前に小宮・竺原と4人でゴルフをしたことがありましたが、再入院後に(今となっては)最後の見舞いに行ったとき、「この間は(藤本の)ひとり勝ちだったね」と語りかけたら、「あの賞金は今度お返しするまで預かっておくだけだよ」と藤本らしい謙虚且つ強気な発言で僕らを喜ばせてくれました。しかし、残念ながら返して貰う機会は訪れませんでした。

 

その分、少しでも、遺児の剛史君に彼の知らなかった父親の「人となり」、そして我々球朋会との交流を伝えることが同期仲間のささやかな使命と感じています。そういえば、昨年だったか、グリンピースを皿の端に避ける剛史君を見て、小宮が「アッ、合宿のときの藤本と同じだ!」と叫んだので、みんなで大笑いになりました。なんと、剛史君はこの父親の嗜好(グリンピース嫌い)を全く知らずに50年近く前の情景とシンクロした同じ動作を見せていたのでした。DNAというのは本当に摩訶不思議というか味わい深いものですね。

 

 

あらためて、合掌。                 (潮田記)