“人間力勝負”海外ビジネス事情! 辻博正 昭和60年卒業

 

 

 

直居さんから、海外で活躍している球朋会員の様子を伝えてくださいということでしたので、残念ながらそんなに活躍はしていないですし、あまりアカデミックな話は書けませんが、取りとめも無く、海外での出来事を書かせて頂きます。

 

2007年に8年間の中国勤務(上海復旦大学での半年弱の語学研修⇒大連の中日合弁物流会社勤務⇒北京での物流会社設立業務⇒上海物産での業務⇒上海で物流会社を設立しその初代総経理としての業務)を終えて、日本に戻ってからは三井物産が出資するJ-REITの運用会社で投資の責任者をやっていました。今ではテレビの広告に、大和ハウスや、三菱地所とかが物流倉庫の開発について流していますが、それの走りのような仕事をしていました。

 

4年間東京の神保町で勤務している時に、球朋会に呼ばれて簡単なスピーチをしたのを覚えています。確か、「海外での仕事は人間力勝負」と言う話をしたと思います。嬉しかったのは、その後、体育会軟式庭球部の中で三井物産を志望してくれる人が増えて、何人かの後輩ができました。

 

さて、前置きが長くなりましたが、2011年から中東のドバイに勤務しました。今思うと、夢のような生活でした。

 

まず、ドバイという国(正確にはアラブ首長国連邦の中の一つの首長国)ですが、実はもう油は出ません。ただ、早い段階で観光と金融の中心の座を勝ち得て栄えている国です。栄えています。世界で一番高い塔、ブルジュ・カリファは828mで、その前の噴水ショーも世界一でした。とにかく世界一が好きな国です。砂漠のリゾート・ホテルも最高でした。お隣のアブダビのフェラーリ・ワールドも凄い遊園地でしたし、巨大なウォーター・パークがいくつもありました。子供は大喜びでしたね。

 

人口の半分はインド人出稼ぎ労働者+一部の金持ちインド人マフィア。元々英国だったので、欧米人は結構います。エネルギー関連の仕事をしている人が結構多いですね。それと、フィリピン人、中国人、韓国人。日本人はあまりいません。そして、人口の1割くらいがエミラテと言われる金持ち現地人です。

 

ドバイでは、会社があるとすると、オーナーはエミラテ(あの白い服を着ている、日本人の言う通称オバQです。実はあの服を着る時は靴はサンダルです)、会社を取り仕切る高級幹部は英国人、そしてクラークはインド人、ついでに言うと商店とかで売り子をしているのはだいたいフィリピン人(男は殆どオカマ)です。とにかく暑い、夏場は下手すると気温50度、湿度100%までいきます。雨は1年に1-2度チョット降るだけ。よって川はありません。ただ、海に面しているので湿度が高くなります。冬は、20度台まで落ちるので、結構すごし易いです。少なくとも、私がいた時は、他のアラブ諸国がテロやらISやらでゴタゴタしていても、ドバイは平和でした。お金さえ出せば何でも手に入るし、日本の次くらいに清潔な国だと思います。物価が高いのが玉にきずですが、確か私がいる時にできた日本のパン屋のコロッケパンが1500円以上しました。でも、エミラテに大人気でした。

 

私はと言えば、好きなゴルフを思う存分やりました。ヨーロピアン・ツアーの初戦を行うEmirates Golf Clubの会員にさせて貰い、ゴルフは全部タダ、練習もタダ、プールもジムも、更にテニスコートも全部タダでした(夏に、テニスしてその後ゴルフをすると、死ねましたよ、とにかく暑いですから)。しかも、そこから車で10分かからない所に住んで、年間約100ラウンドやりました。おかげさまで、英国人、中東人、インド人、韓国人、アフリカ人等と一緒に回り、いろいろな会話も楽しみました。一応シングルになり、英国人等々を相手にハンデ戦では結構、優勝もしました。

 

中東ドバイには、世界に誇る路線数世界一のエミレーツ航空があり、それを利用して、欧州、中東、アフリカにひたすら出張していました。ドバイには3年いましたが、毎年地球と月を2往復するくらい飛行機に乗っていました。(エミレーツ航空のA3801st Classはぜひ一度はお試しください。飛行機の中でシャワーも浴びられますよ!料理はキャビアのテンコ盛りに始まり、フォアグラ、トリフと世界三大珍味が味わえます・・・因みに私はキャビアをお代わりしましたがw)

 

とにかくフロンティア・スピリット満点の仕事をしていましたので、私が行くと、そのあとドカンと何かがあると言う感じでした。アルジェリアに行った後で、すぐテロがありましたし、ケニアのモンバサに行った1週間後に、同地で日本人が殺され、それに懲りずに家族とケニアのマサイ・マラのサファリに行った帰りにナイロビのモールに行ったら、翌週に飛行場は燃えるわ、モールで大量殺人事件は起こるは大変でした。また、家族でヨルダンのぺトラ遺跡とか、死海(身体がプカプカ浮いてとっても愉快でしたが)に行ったり、出張で何度も何度も行ったトルコに家族を連れて行ったすぐ後に、ISの日本人殺害事件が起きました。

 

ただ、誤解しないでください。ISは許せませんが、イスラム教だからと言って、変な人ばかりではないのです。ドバイにいる後半時期に、バーレーンでプロジェクトを持っていたのですが、その時のパートナーだったイスラム人は、皆良い人ばかりでしたし、娘に英語を教えてくれていたイスラムの人は、インテリだからかもしれませんがとっても良い人でした。

 

でも、バーレーンでは、シーア派とスンニ派がいつも抗争を繰り返していて、嫌な雰囲気でした。宗教はやっぱり怖いですね。ISの行動は全く理解できません。

 

2014年に、バーレーンのプロジェクトに参画することがぼぼ決まり、ドバイからバーレーンに移るのかなと思っていたら、古巣の中国から、強烈なラブコールがあり、急遽中国北京に異動することになりました。今やっている中国物流基礎設施(中国物流インフラ)プロジェクトです。三井物産の中で、中国語ができて、物流が解って、物流倉庫投資、REIT事業ができる人が、どうやら僕しかいなかったというのが理由だったようですが、それを推進している人との繋がりが最も大きかったですね。やはり仕事は人です。

 

今、そんなこんなで中国北京に住んで、中国の中を駆け回っています。北から順番(?)に、大連、瀋陽、西安、北京、天津、武漢、成都、上海、厦門、広州、海南島等々に出張し、物流倉庫を開発する日々です。今回のプロジェクトはパートナーが中国の北京市政府系国有企業で、しかも彼らが65%を持つ中国側がメジャーのプロジェクトです。

 

来てみて、予想通り苦労の連続ですが、家族と会社の同僚の支えで、なんとか持ち堪えています。まあ、中国人はとんでもないです。自分勝手です!

 

因みに、同じ会社にもう一人三井物産から出ていますが、彼は大阪外語大の中国語学科卒業です。私はと言えば、復旦大学で半年弱の勉強のみ・・・今の会社は、誰も英語は解らず、勿論日本語も解らず、全ての会話、全ての会議、全てのメールは中国語です・・・大変ですよ。でもそんなことより大変なのは、国有企業の文化との違いです。

 

でも、めげずに頑張っています。今回の中国のプロジェクトはあと3年は続きそうですが、勿論「人間力勝負」で頑張るつもりです。最後までエキサイティングな仕事をさせてくれている会社に感謝しつつ・・・勿論、支えてくれている家族にも感謝しつつ、もう少し楽しませて貰おうと思っています。