人生100年時代に戸惑う老人のつぶやき

小倉良三郎 (昭和33年卒)

 

私は今84歳、脊椎棺神経狭窄症、前立腺がん、肺がんの手術を経験しながら、先進医療の恩恵にあずかったのか、年齢相応の健康を享受しています。

正直、こんな年まで生きるとは思っていなかったので、最近はやや戸惑いながら毎日を過ごしています。

 

2001年12月、67歳で会社勤めを終えました。丁度そのころNEET(ニート)と呼ばれる若者、アルバイトもせず、就職する意思も見せない若者、“学校から就業への移行過程”で悩んでいる若者たちの支援に興味を持ち、一年間キャリアカウンセリングの勉強をし、

2003年6月にCareer Development AdviseCDA)の資格を取得、2003年7月に、若者の就労を支援する雇用・能力開発機構神奈川が運営する“ヤングジョブスポット横浜”に籍を置き、若者の自立支援の仕事に取り組み始めました。

 

ここでの発見は、相談に来る若者の大半の悩みは、就職先がないという以前の、心の迷いや悩みであり、丁寧に話を聴くことによって、彼ら自身が、何につまずき、何を求めていたのか、どのような仕事で社会参画したいのか、自分自身が見えてくると言うことでした。

自立支援というのは、本人が自分の可能性に気付くまで、ゆっくりと時間をかけて伴走することにあったのです。

約10年、彼らに伴走しながら、CDAの仕事を続けてきましたが、4年ぐらい前から、体調不良もあり、この仕事を続けるのに必要なエネルギー不足を痛感し、かえって若い人たちに迷惑をかけてはいけないと思い、お手伝いを辞めさせてもらいました。

 

この時期、私にとってありがたかったのは、詩吟との出会いでありました。

2003年の横浜如水会の新年会で、昭和30年卒の飯島 満さんの吟ずる詩吟を拝聴し、その魅力に取りつかれました。飯島さんはご自宅のある二俣川で教室を毎週1回、如水会館で月2回、如水詩吟会を主宰されています。

私は、我が家から近いこともあり、ご自宅の教室に弟子入りし、詩吟のイロハから勉強を始めました。

 

漢詩のルーツは紀元前の中国にあり、現在の新体詩の形、五言絶句、七言絶句、律詩の形式が固まったのは唐の時代、杜甫、李白,王維、白居易などが輩出されてきた頃のようです。

日本の詩吟のルーツは、江戸中期、昌平黌での漢詩の講義で節をつけて読み聞かせたのが始まりで、ここで勉学した若者たちが日本各地に広めていったそうです。

 

 

非日常的な感動や見聞・高揚した気分を詠った唐詩、日常的な情景・平淡かつ沈静した気分を好んだ宋詩で構成される漢詩を、腹式呼吸で朗々と詠う楽しさは何物にも代えがたく、

80歳代を迷いながら過ごしている私にとって、得難い趣味の一つになっています。

 

 

如水詩吟会は第2・4週の午後、2時間、如水会館5階会議室で詩吟教室を開いています。時を超え、地域を超えて愛されてきた漢詩の面白さ、詩吟の奥深さを聴いていただければと、願っています。