随想

 

四年社 野田栞

 

 

 

「先輩、随想書いてください。」

 

とうとう自分もこんなことを言われる年になったのか。非常に感慨深い。思っていた以上に四年間という月日は短かった。

 

私が中学でソフトテニスというスポーツを選んだのに、特に大きな理由はなかった。厳しい部活だとも知らず、「何かスポーツやりたいし、できれば友達もいた方がいい」そんな単純な理由で選んだ。まさか十年間も続けることになるとは考えてもいなかった。

 

大学でもソフトテニスを続けようと思ったきっかけは、単純だった。「たくさんボールを打てる環境があるから」だ。中高は、全部員百名以上でコートは二面、練習時間も厳しく制限されており、とにかくもっとボールを打ちたかった。初めて一橋の東二号館裏のコートに足を運んだ時、誇張ではなく、コートが輝いて見えた。

 

松見先輩が部活を復活させてから、二人目の部員で、初めは週二日の短い練習。週一日以上母校に通っていたが、物足りなかったのをよく覚えている。

 

それから四か月ほどで、同期の村井が入部してくれた。初心者であったが練習熱心で、初めの一か月での上達ぶりは今でも忘れることができない。

 

二人の縁で遠藤も入部を決めてくれ、女子四人での練習が続いた。四人中二人が初心者での練習は大変ではあったが、女子部の今の明るい雰囲気はその頃から続くものなのだろう。

 

その後部員が増えて戦力も安定し、八部まで順調に昇格することができた。しかし八部では戦力のそろった相手に対しあと一歩のところで届かず、三度のリーグで残留している。ここが女子部の正念場なのだと思う。

 

個人的な話をすると、私は中高前衛としてプレーしていた。だが人数バランスの関係もあり、私が後衛に転向し、その後シングルスも経験した。十年の間に前衛も後衛もシングルスも経験できたのは自分の視野を広げるうえでも主将としてメニューを組むうえでも非常に良い経験だったと思っている。

 

さて、私は「反面教師」という言葉が好きではない。後悔や反省なども嫌いだ。しかし卒業生の口からは、毎年必ずどこかでこの言葉に出くわすのだった。

 

でもそれが自分の一番だめなところだったのかもしれない。今の自分やチームにとってのことしか考えず、落ち込むことは前進を生まないと決めつけ、自分の行いを正当化し、変えようとしてこなかった。

 

たしかに主将として自分がぶれないこと、明るくすることは当然だが、違うところでもっと自分と格闘すべきであった。この文を読んだ後輩は、私も同じではないかと言うかもしれない。たしかにその通りであり、だからこそこの随想にその経緯を記すのだということをようやく理解した。

 

最後に、懺悔のような告白をしよう。私は、大学三年の秋リーグで引退しようと思っていた。主将という立場を終えるという一区切りがあったのと、ソフトテニスというスポーツが嫌いになりかけていたからである。要するに単なる逃げだ。

 

そんな私がなぜもう一年部活を続けたのかというと、一番はやはり、先輩や同期、後輩の存在があったからである。コートに行くのが苦しい時期もあり、それでもコートの近くに行って部員の声を聞くと、鼓舞されることも多かった。もう一年やるのとやらないのとでは今感じているものも違っていただろうし、そのような素晴らしい仲間に出会えたことは私の大学四年間の最も大きな財産だと思う。

 

四年間を通じ、OBOGの方々、同期や後輩には大変お世話になりました。四年の秋リーグで、関さんから球朋会の成り立ちのお話を伺い、私たち現役部員がいかにOBOGの方々の支えの上で活動しているのかということを知ることができました。今後も現役部員内で共有していって欲しいと思います。とにかく今は感謝の気持ちでいっぱいです。これからはOGとして微力ながら部員をサポートしていきたいと思います。基本的に東京にいると思うので、コートやリーグにも顔を出す気でいます。ここで宣言しておかないと行かなくなる気がするので…笑

 

これからも応援しています。